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カテゴリー "伊藤有子" の記事

忘れないこと、忘れてはいけないこと。

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大雨の朝、
いつもと同じ時間に勤務先の最寄駅に到着する
と同時にスマホが受信した緊急ニュースに、
一瞬フリーズした。


1995年3月20日。私は高校3年生で、
卒業式のリハーサルのため登校していた。
三学期は受験でほとんど休んでいたので
久しぶりの登校だった。
終業のホームルームで担任の先生から、
みんな久しぶりに会えて嬉しいだろうけど
丸ノ内線と千代田線でサリンがまかれたらしいので
まっすぐ家に帰るように、と言われた。
世田谷の外れの学校に通っていた私にとって、
自宅のある目黒と学校までの狭い範囲が
世界の全てだったわけで、
丸ノ内線も千代田線もほとんど縁はなく、
親友とご飯を食べて帰ろうと、バスに乗った。
今ほど人のいない二子玉川駅の改札で初めて、
日比谷線にも被害があったことを知った。
父と姉が通勤に使っている路線だった。


父は毎朝7時には家を出るので大丈夫だ。
しかし姉の出勤時間は知らなかった。
SNSどころか携帯電話もない時代。
公衆電話から自宅に電話しても誰も出ない。
もしかしたら母は病院に行っているのではないか。
経験したことのない恐怖が全身を襲ったのを、
今でも覚えている。
親友はすぐに私の様子を悟り、
今日は帰ろう、と言ってくれた。
家に帰っても母はおらず、伝言もなく、
姉の名前がないかテレビをずっと見ていた。
幸いなことに姉は数時間遅れで会社に着き、
無事を確認した母は呑気に出かけていただけだった。


9.11よりも前に起きたこの事件が、
世界ではテロと言われるものであると知ったのは、
数年後に英国留学した時だ。


昨日の報道に違和感を覚えた。
「これで一定の終息」でいいのか、
日本人お得意の、
臭いものに蓋をしているだけでは無いのか。
そもそも、かの宗教団体に
あれだけの人がのめり込んだという事実、
それこそが日本社会の問題では無かったのか。


私は死ぬまで、
3月20日を迎えるたびに思い出すだろう。
身内が殺されたかも知れないと、
恐怖を覚えたあの日を。


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当たり前ではない、ということ。

3年前に一人暮らしを始めるまで、引越しをしたことがなかった。
今住んでいる場所も同じ区内だ。たいした距離はない。

でもいつまでもこの場所にいられるわけではない。
子供の頃は考えたこともなかったけど。

たまに会う両親が年老いていくのをみるたび、
この場所から離れなくてはならない日が来るのはそんなに遠くないのだと思う。

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霜月に思うこと。

この記事を書くまでに、何度も書いては消し、書いては消し、を繰り返していた。
10月はあいちトリエンナーレ、KENPOKUとアートフェスティバルに行ったりして、その感想とか、今取り組んでいる京都造形大の卒業制作のこととか、通っている美術系の英語教室で勉強したこととか、話題がないわけではないのだが、何かまとまらず、時間ばかりが過ぎる。結局全てが途中なので、まとまらないのだな、と思った。



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先週、またひとつ歳をとりました。10の位が変わりました。10年前に比べるとあまり感じることはないです。歳をとることを受け入れられるようになってきたのかも。会社の人が用意してくれたケーキを、先日、いつも目に入るところに置こうと購入した絵と一緒に写真を撮りました。また1年、周りへの感謝を忘れずに、ほどほどに頑張ります。

暗室の恋しい日々。

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最近は明るい部屋で切り貼り作業に勤しんでいます。
やっていることはとても暗いです。

本を読む理由。

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未読の書籍を机の上に積み上げている。
読むスピードに対して入手するスピードが倍くらいなので、いつまでたっても山はなくならない。
山を横から見てみたら宙に浮いているように見えた。

読書家の父と姉の影響で、小さい頃から本を読むのが好きだった。
そのおかげか小学生の時は読書感想文や作文は得意だったのだけど、
参考書、就職対策本、ビジネス書、と自分の興味より
必要に迫られて手にする本ばかりを読むようになるにつれて
文章を書くこともすっかり苦手になってしまった。
口では説明できるのに、書くことでは言葉がうまく紡げないのは何故なのだろう。

先日、ある本を読んでいる時に、
内容は面白いはずなのに(写真家のインタビューを収集したものだった)、
なかなか頁が進まないことがあった。
我慢して読み進めていたのだが、ある数行の文章を読んで、
ああ、この本の文体は私には合わないのだ、とはっきりわかり、
途中で読むことをやめた。

その文体はちょっと村上春樹っぽかったのだ。
村上春樹の文体は村上春樹の著書だったら気にならないのだけど、
違う人が真似るとイラっとするのだ。
(私の勝手な解釈です)

写真を人に見せる時に、見る人に対して全てを説明する必要はないと思うし、
自分の思いを押し付けることはしたくない、と思う。
しかし、自分の思いを伝えることを求められた時のために、
準備はしておかなくてはいけない。
借りてきた言葉では人には伝わらないけれど、
借りてもこなければ自分の手札は増えない。
書く訓練もしながら、たくさんの文章に触れなければ。

…なんてことを考えながら、毎日読書をしています。






















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