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2015年12月の記事

年を越した宿題

三年近く前だったか、六月の終わり。
まだ梅雨が明けない曇天の日に鎌倉へ出かけることがありました。

思いつきで出かけたその日は、橋が架かる日でした。
偶然出逢った景色に夢中でシャッターを切りました。

その後、夏本番のときも、夏休みが終わった後も
同じ場所へ足を運び、橋のある風景を撮りましたが、
橋が解かれる景色を撮ることができませんでした。

橋がなくなっていく様子を撮れなかったことを、
私はずっと気にかけていました。
何となく気持ちに踏ん切りがつかなかったのです。
同じ年の夏ではないけれど、いつか撮れたらいいな。
そう思いながら、気がつけば何年も経っていました。

その間に私の物の見方や捉え方も変化していきました。
それでも橋のことだけは、ずっと変わらず気がかりでいました。

今年の夏、「材木座にまだ橋があった」と話してくれる人がいました。
どうしてそのことを私に伝えてくれたのか分からないけれど、
それは私にとって、ふいごのような言葉でした。

いつ解体されるか、詳しい日にちは分かりません。
自分の勘を頼りに、あてずっぽで鎌倉まで出かけました。

橋が無くても、「見られなかったな、また今度」と思えるだけの
気持ちの余裕が、その時の私にはありました。
橋が無ければその場にいて気になったものを撮れば良い、と。

写真を撮りました。
宿題をようやく終えました。

ありがとうございました。




yagi_1512_2
( 2012年6月 )

yagi_1512_1
( 2015年9月 )
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河岸に立つ

河岸に立つ

早いもので、植田華菜子さんとの二人展「河岸に立つ」が終了して10日程経ちました。会期中は沢山の方にお運びいただき、本当にありがとうございました。

今回の「河岸に立つ」という展示タイトルについて、会期中にたくさんご質問をいただきました。このタイトルは、写真を撮る時に見つめているものと自分との距離感について、植田さんと話したことがきっかけで決まりました。

私は、ここ1年ほど「写真を撮る時、被写体は自分と同じ側にあるのか、向こう側にあるのか?」ということに関心をもっていました。
私自身は「こちら側と向こう側の境界線ギリギリの、手を伸ばせば触れられそうな、向こう側」を撮っている、と感じていました。そこで、同じ問いを植田さんにも投げかけてみたところ、被写体は「向こう側」だとという点は植田さんも同じ。違ったのは、植田さんが見つめているのは「手の届かない遠い向こう側」だという点です。つまり、河で言えば、植田さんは向こう岸を、私は足下の岸辺を見つめている、という距離感の違いがあったのです。今回の二人展では、その距離感はの違いを展示で表現したいという想いから「河岸に立つ」というタイトルを付けました。

この二人展を通して多くのものを得ることができました。自分の中でまだしっかりと整理できていないそれらのことにも、これから一つ一つ向き合っていくつもりです。