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この年月

日々の暮らしに「これは気になる」と感じたとき、その写真を撮れそうなら撮ります。写真に対する熱量を一定に保つためのルールなのかもしれません。

「写真とは」と考える機会は、以前よりも少なくなってきました。今までより少し離れた場所に立ち、遠くから自分の誰かの撮るものを眺めています。撮るときは深く考えず、目の前のありのままの姿に一度、二度シャッターを切ります。

眺めているだけで満足し、撮影しないこともあります。撮らなくても平気になりました。撮れなくても「仕方ない」と思うだけです。「撮る」よりも「見る」を、記憶に留めておくことを大事にしています。

写真を嫌いになったわけではないけれど、「なぜこんなに熱心だったのかな」と過去を振り返るときがあります。と同時に、「なぜ今は前と違った見方をしようとしてるのかな」と不思議にも思います。

「息切れ」でもありません。なんと呼べば良いのか。「迷うことが少なくなってきた」と言うのが正確かもしれません。

四十歳になる一歩手前、私にとって三年前はラストチャンスの年でした。年齢制限のあるコンペに応募できる最後の年、初めて挑みました。それをきっかけに三年間、作品を応募しても選ばれないことが多い状況にありながら、その状況から教わることも沢山ありました。

教わった一つ一つを書き出したらきりが無いけれど、些細なことでも「なぜ駄目なのか」と自分に問いかけることを大切にしていたように思います。その積み重ねがあって、自然と迷いが解消されていったのかもしれません。

写真への思い入れ、捉え方、接し方が変化しても、写真を撮り続けています。撮る枚数は格段に減りましたが、それでも興味は持ち続けています。写真を好きであることに変わりはないけれど、どのように「好き」でいようか…なんて考えることもあります。新しい接し方を模索しているのかもしれません。

それでも、以前から変わらない気持ちもあります。最後にそれをここに記し、結びの言葉にします。



Kyoto2015_01840_008.jpg



写真の一枚一枚それぞれが「わたし」であり、もしかしたら、この作品に関しては、もうそれ以上特別に言うことは無いのかもしれません。私にとって「撮ってて良かった」は「生きてて良かった」と同意です。ささやかな場面の連続にこのような表現は大袈裟ですが、カメラを構えるたびに、そんな風に考えるようになりました。

今もなお「撮り続けたい」という気持ちを大切にします。それは即ち、自身を大切にすることに繋がっていくものだと信じています。

(「いつかかわっていく景色」ステイトメントより抜粋)


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