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カテゴリー "八木香保里" の記事

アンコール

「これいいな」と何度も見返す写真には
偶然目にして気になって仕方なくなって写したものも多い。

「これを写して見せて伝えたいことがある」
…という感情抜きの、乱暴な言い方をしても良いなら
「直感に頼り切った自分勝手な写真」を引っ張り出して並べてみる。

そんな無計画な写真も、
何枚も集めて眺めてみると浮かび上がる何かがある。
草、光、知らない人の後ろ姿、偶然の配置、色と形。
常に意識しなくとも、いつも傍らにある私のすきなもの。

そう考えてみたら、すっかり気が抜けてしまった。
いつでもどこでも写真って撮れるもんかもしれないな、と。

昔も今も大して変わらないな、と思う。自分のこと。
また同じように撮れたらいいな、と思う。

それが私の、写真との向き合い方なのかもな、とも思う。


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戸越あたりを拠点にする作家たち展
カモナハウス 2017

2017年6月23日(金) - 7月5日(水)(木曜休)
フォトカノン戸越銀座店ギャラリー
東京都品川区戸越2-1-3
http://www.photokanon.com/

カモナハウス フェイスブックページ
https://www.facebook.com/comeonourhouse/

会期中は壁面の写真展示と、プリントとカードの販売をします。

昔も今も好きな写真を「アンコール」として一冊にまとめています。
ページ数が沢山で枕みたいになりそうで値段がつけられなさそうです。
販売するかどうかは、まだ決めかねているところ。

わたしの桂川

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東京へ出て間もない頃、右も左もよく分からなかった頃、地図を片手に一人歩き、この川を眺めました。「東京なのに桂川がある」、そんな風に考えることがあってから、多摩川を「桂川」と読み替えて郷里を想いました。

私が育った街には大きな川が流れています。それが桂川です。東京にいて、しかも川沿いに「桂川」の文字を見つけたことが感慨深く、今でもこの風景が好きです。橋を渡るときには必ずこの「桂川精螺」の看板が見える側を歩きます。路線バスに乗るときも座席は川の上流側を選んで座ります。

その場を離れたから、手放したからこそ分かる懐古への情があると思います。もうそばにいないのに、それが返ってより一層愛おしくなる。そんな気持ちをどうにもできず、写真が好きで撮っているから、取りあえず試しにその場にレンズを向けてみる。撮ってみる。眺めて、撮って…の繰り返しがあっての今。時間が経ち、東京に暮らしながら大事にしたい場所が多摩川の他にも少しずつ増えています。


大切にしたい風景を見てもらうことは、抱く気持ちを他人と分かち合うことに似ています。この春、そういう機会に恵まれました。お近くにいらしゃることがあれば、遊びにいらして下さい。玉川で多摩川を、皆様のお越しを心よりお待ち申し上げます。


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四月と三月  写真展 「たまがわ」
2017年4月1日(土)- 4月30日(日)
STARBUCKS COFFEE 玉川三丁目店
東京都世田谷区玉川3-34-2 リオ・ヴェルテ
http://www.starbucks.co.jp/store/search/detail.php?id=1148

四月と三月 ※ (近 一志氏との共作)
https://www.facebook.com/shigatsutosangatsu/




この年月

日々の暮らしに「これは気になる」と感じたとき、その写真を撮れそうなら撮ります。写真に対する熱量を一定に保つためのルールなのかもしれません。

「写真とは」と考える機会は、以前よりも少なくなってきました。今までより少し離れた場所に立ち、遠くから自分の誰かの撮るものを眺めています。撮るときは深く考えず、目の前のありのままの姿に一度、二度シャッターを切ります。

眺めているだけで満足し、撮影しないこともあります。撮らなくても平気になりました。撮れなくても「仕方ない」と思うだけです。「撮る」よりも「見る」を、記憶に留めておくことを大事にしています。

写真を嫌いになったわけではないけれど、「なぜこんなに熱心だったのかな」と過去を振り返るときがあります。と同時に、「なぜ今は前と違った見方をしようとしてるのかな」と不思議にも思います。

「息切れ」でもありません。なんと呼べば良いのか。「迷うことが少なくなってきた」と言うのが正確かもしれません。

四十歳になる一歩手前、私にとって三年前はラストチャンスの年でした。年齢制限のあるコンペに応募できる最後の年、初めて挑みました。それをきっかけに三年間、作品を応募しても選ばれないことが多い状況にありながら、その状況から教わることも沢山ありました。

教わった一つ一つを書き出したらきりが無いけれど、些細なことでも「なぜ駄目なのか」と自分に問いかけることを大切にしていたように思います。その積み重ねがあって、自然と迷いが解消されていったのかもしれません。

写真への思い入れ、捉え方、接し方が変化しても、写真を撮り続けています。撮る枚数は格段に減りましたが、それでも興味は持ち続けています。写真を好きであることに変わりはないけれど、どのように「好き」でいようか…なんて考えることもあります。新しい接し方を模索しているのかもしれません。

それでも、以前から変わらない気持ちもあります。最後にそれをここに記し、結びの言葉にします。



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写真の一枚一枚それぞれが「わたし」であり、もしかしたら、この作品に関しては、もうそれ以上特別に言うことは無いのかもしれません。私にとって「撮ってて良かった」は「生きてて良かった」と同意です。ささやかな場面の連続にこのような表現は大袈裟ですが、カメラを構えるたびに、そんな風に考えるようになりました。

今もなお「撮り続けたい」という気持ちを大切にします。それは即ち、自身を大切にすることに繋がっていくものだと信じています。

(「いつかかわっていく景色」ステイトメントより抜粋)


暮らす街


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私が長年撮り続けているのが「暮らす街」です。

誰もが見たことあるような景色を作品にしても
観る側にとってはつまらないだけかも…と不安になったり
「既視感」を越えられず立ち止ることもあります。

それでも、作品を観てくれた方々のなかには
ご自分の記憶や経験とすり合わせて
「私もこの景色を見たことあるような気がします」
と嬉しそうに伝えて下さることもよくあります。
写っている場所へ行ってみたい、とも。

こんな感想も「既視感」と呼んで良いなら
私は既視感、とても好きです。




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ONLY / やさしさしかない




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どんな話題が上がっていたのか、今となっては記憶も定かでない。
あまり良い話ではなかったような気がする。

しかめっ面する友達に
「ほら、顔に出てるから気をつけて」と声をかけた。
その場にいた皆が「ほらほら」と笑う。

「いや、私たちの前ではむしろ積極的に顔に出していこう」

目の前の人がさらりと口にする。
私たちには優しさしかないのだから大丈夫だ、と。
その場の空気がふわりと変わる。言葉が駆けめぐる。

冬から春へ、撮り続けている写真があった。

何の目的もなく、ただただ「いいな」と感じる日常。
お洒落のセンスも特別なものも何もない、
何も求めない、偽りのない景色。
その一連に何となく、発せられたその言葉を名づけたくなった。

やさしさしかない。やさしさしかない。
易しくて優しい早口言葉は、今でも私のお気に入り。

そんな彼女の言葉のように、私もやさしい人になりたい。



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「ONLY / やさしさしかない」の作品を以下のURLに公開しています。

ONLY / やさしさしかない
カラー 24枚組
http://yagikahori.wix.com/photography#!blank-19/x0u8q
この作品はグループ展「カモナハウス」にてZINEとして販売しました。

Yagi Kahori Photography
http://yagikahori.wix.com/photography